政治ブログの「社会派DS」に書こうか通常ブログに書こうか迷いましたが、まずはこちらに書きます。
私は青森県八戸市で生まれ、中学時代の2年間は下北半島の付け根に位置する六ヶ所村に居住しました。その経験を含む様々な情報を総合すると、青森県の下北半島地域はある意味で県内で最も「悲惨」な地域だと結論付けざるを得ません。
県の日本海側と青森市を含む津軽地域には、リンゴ、ねぶた(or ねぷた)祭り、弘前城の桜、ストーブ列車、白神山地、津軽弁など、多くの日本人が「青森」からイメージする観光地や名物が集中しています。一方、県の南東部の八戸市を中心とする南部地域は津軽ほどの名物には恵まれないものの、気候的に雪が少なく住みやすいというメリットを持っています。ところが、下北半島地域はいかにも中途半端です。津軽ほどの降雪量はないものの、季節風を遮る高い山地が無いため、冬は強烈な吹雪に見舞われることが多いのです。中学時代、向かい風の吹雪の中の徒歩通学の苦しさは絶望を感じさせるレベルでした。ゆえに積雪量の多い青森市辺りよりも冬の暮らしは大変だと思われます。また、県の中心都市である青森や八戸からの距離は相当に離れていて、生活は比較的不便です。半島内には恐山や大間のマグロなどの観光や物産がありますが、先述の距離のせいでアクセスは困難。更に半島太平洋側の東通村や六ヶ所村に至っては有名な観光地や物産はほぼ皆無で、ついでに鉄道路線もありません。
話は本題から若干逸れます。少年時代に六ヶ所村に2年住んだ私が得た最大の教訓は、「田舎の人は素朴で温かい」的なイメージは現実と一致するとは限らないということでした。なお、これは当時の私の周辺がそうであったということに過ぎず、六ヶ所村全体を貶める意図は皆無です。それ以来、住むなら絶対に都市部に限る、と心に決めて現在に至ります。
話を本題に戻します。さように何もない六ヶ所村が貧しいかといえば、決してそんなことはありません。私が住んでいた頃はちょうど国家石油備蓄基地の開発を行っていた頃で、その際に多額の補償金を貰ったと思しき住民がかなりの豪邸を建てて暮らしていました。その後、原子燃料サイクル施設を誘致し、村の財政が更に豊かになったことは周知の通りです。もしこれらの開発が無かったとしたら、六ヶ所はおそらく何のとりえもない過疎の村に過ぎなかったはずです。
さて、東通村は原発から大きな財源を得ています。状況は六ヶ所村と類似しますが、六ヶ所村よりも北にあり地理的条件は更に過酷です。もし原発がないとすれば、財政的に相当厳しくなります。村の存亡に関わるレベルと表現しても過言ではないでしょう。私などは下北半島に2年関わっただけ(今後直接関わる予定も皆無ですが)なので気楽にブログに書けますが、地元に根付いた生活を送るつもりの人々にとっては相当に切実です。
さて、今、東北電力の東通原発敷地内に「活断層」が存在するという理由で、再稼働の見通しが立たなくなっています。これにより地元を離れざるを得ない人も相当いるでしょう。この状況を良しとするか否かを決めるのが政治です。政治的な所感については、気が向いたら「社会派DS」に書きます。
原発すがるしか・いい加減だ…東通活断層で地元(読売新聞)
以下、記事から一部引用してエントリを締めます。
原子力規制委員会の専門家会合は東北電力東通原発の敷地内に活断層があることで一致し、同原発は再稼働の見通しが立たなくなった。
青森県東通村の経済の将来に不安が広がるとともに、一度は安全とした国の判断と真逆の結論に向かっていることに関係者からは不満の声が上がった。
東通村の越善靖夫村長は「私は東北電力の活断層ではないという主張を信じている」とした上で、原子力規制委員会の委員が国会同意を経ずに決まったことを指摘。「同意を得てから、調査すべきだ」とぶぜんとした表情で語った。
原発近くに住む元村議(72)は「出稼ぎをなくせると思って原発を誘致したが、東京電力福島第一原発事故後、若い人たちがまた出稼ぎに行くようになった。村は吹けば飛ぶような業者ばかりで、原発にすがって仕事をするしかない」と肩を落とす。
「2日間、調べただけで、前と大きく結論が変わってしまうなんて、地震学というのはそんなにいいかげんな学問なのか」――。県幹部は専門家チームへの不満をぶちまけた。
反原発の立場の「下北の原発・核燃を考える会」の櫛部孝行代表は「専門家が活断層という意見で一致したからには、廃炉という方向にもっていくべきだ」と語気を強める。
ただ、遠田晋次・東北大教授(地震地質学)は「断層が震源までつながる深いものか、数メートル、数十メートルの浅いものかが重要。建屋などにどれぐらい影響があるかが判断されるべきで、ちょっとしたずれで稼働がすぐ駄目になるという論調はおかしい」と指摘する。