掛け算順序議論への所感(改訂版)

※同じタイトルの記事を2013年1月に投稿しましたが、その後、ネットでの議論を眺めているうちに、この問題に対する印象が微妙に変わってきたため、以前の記事を残しつつ、改訂版を再投稿します。客観的な意味では私の意見は以前と変わっていませんが、文章の力点(主に誰に対して主張を伝えたいか等)が変わっているはずです。

タイトルを見てピンとくる人はこの段落を読み飛ばしてもらって構いません。まずは当エントリのテーマである「かけ算の順序問題」とは何か、概略を述べます(Wikipediaにも載っていますが)。例えば小学2年生の算数で「6つのベンチに子供が3人ずつ座っています。子供は全部で何人いますか」という問題に式と答えを書かせるとしたら、3×6=18と6×3=18のいずれも、数学的には正解のはずです。ところが6×3=18を不正解として減点する小学校教師が存在するらしく、定期的にWEB上で議論が巻き起こっています。以上がいわゆる「掛け算の順序問題」です。とは言え、演算としての交換法則そのものではなく文章題の立式の際の順序の話なので、個人的には「文章題掛け算順序問題」と呼ぶ方が正確だと思っています。

ここから本題です。最初に私自身のbackgroundを若干述べます。私は小学校高学年~高校の算数・数学については集団での授業経験がある人間です。しかし今回のテーマに最も関連深い小学校低学年への指導経験はありません。その意味では門外漢です。ひょっとしたらこれから書くことに認識の誤りが存在するかも知れませんし、既にネット上の別所で書かれている主張の2番煎じになるかも知れません。ご了承ください。
先にリンクしたWikipediaにもあるように、文部科学省の指導要領には、文章題掛け算に“正しい順序”があるとか、ましてや逆順は減点すべし、に類することは一切書かれていません。ところが、教科書の記述では一方の式のみが正答扱いされています。更に、教科書の指導書の中には逆順を誤りとするような記述があるそうです。私は指導書を入手できる立場にはありませんので、これについてはWikipediaや、東京書籍の指導書を引用した次の記事を参照しました。
教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。(小学校教諭の方のブログ記事)

以上に記した現状をふまえ、以下でこの問題について言いたいことをまとめます。大きく分けて2つあります。

まず1つめ。“正しい順序”の逆順答案を減点しないで済むならば減点しない方が良いということ。つまり、冒頭の例題ならば3×6=18と6×3=18のいずれも○にすべきであるということ。何故そう考えるか?
理由その1:減点する教師は、それによって児童の理解度を測れると思っているかも知れませんが、小学生に式を書かせる形式のテスト問題は、大抵の場合、日本語を含まない式だけが要求されます。ゆえに、どのように思考してその式を書いたのか常に正確に評価することは難しい場合もあると推測します。ゆえに、逆順減点なしで指導できるなら、その方が圧倒的に望ましいでしょう。

なお、上の「理由その1」に関して、「テストでは式だけではなく日本語で思考過程を書かせるべき」という意見がネットで散見されますが、小学校低学年のクラス全体への要求としてはハードルが高すぎます。後半でも書きますが、義務教育としての性質上、できない層にある程度合わせるのは仕方ありません。

理由その2:数学的に正しいものを×にすることによって児童生徒の数学に対する意欲が削がれ、ひいては学校の教師への不信感を生むリスクも想定される。理解不十分の児童生徒に対しては、減点ではなく別の手段で指導するのが理想と考えます。ただ、指導(具体的には集団のコントロール)の都合上、どうしても逆順をバツにしたいなら、当該児童の意欲が決して損なわれないように責任を持って指導する必要があると思います。たとえば、「順番違いでバツになるのは教室内でのローカルルールである」ことを明言して、かつ各児童が納得できれば、この懸念は払拭されるでしょう。

なお、私は「逆順を×にするのは科学的にナンセンスだから」という理由だけでは逆順減点を批判しません。特に選抜されていない小学校低学年の40人近い集団相手に、「科学的正しさ」だけを持ち込んで授業をしても通用しないことは明らかだからです。ところで、ネット上で一部の数学者やそれに近い立場の人物が、ほぼ「科学的正しさ」だけを振りかざして掛け算順序固定を叩く場面をよく見かけますが、これが私には不思議でなりません。有名な数学者や科学者であっても、初等教育(特に小学校低学年対象)の分野では素人同然なのに。まあ、その意味では(既に述べたとおり)私も素人ではありますが。さて、やや脇道にそれましたが、実はこの段落で述べたことが、このエントリを改訂したいと思った最大の動機なのです。それについてはラスト近くで追記するとして、ここでは本筋に戻りましょう。

ところで、演算としての掛け算の交換法則の成立については、小2の指導要領にも教科書にも明記されていて、これを否定する人はおそらく皆無。問題になっているのは数が具体的な量を表す場合の可換性です。現在の教科書では「1つ分の数×いくつ分=全部の数」と教えることになっていて、これがいわゆる“正しい順序”です。尤も、一旦きちんと理解できた後で“正しい順序”に拘るのは全く無意味です。例えば冒頭の例題の式に単位をつけると(ベンチを数える単位を「脚」として)、3(人/脚)×6脚=18人でも6脚×3(人/脚)=18人でも全く同じことは明らかです。ただし、掛け算習いたての小学校2年生の集団相手に単位をつけて指導するのは非現実的です(分数未習なので)。

つまり、“正しい順序”は未成熟な小学生に掛け算を教えるための手段・方便の一例ということになります。少し話が逸れて低学年算数から離れますが、経験上、成績中下位層の生徒に数学を教える際、色々な別解を伝えようとすると却って混乱する場合があります。できる生徒は別解を喜びますが。一般に、力量差が大きい集団に勉強を教えるのはかなりの工夫と労力が必要で、簡単ではありません。

これから私が2番目に言いたいことを述べます。小学校の教師は、生徒がより理解しやすい教え方を採用すべきです。その手段が“正しい順序”方式であろうが、順序にこだわらない方式であろうが構いません。もし仮に私に小学生の子供が居たとして、「掛け算の式は『1つ分の数×いくつ分=全部の数』の順番で書こう」と指導されていたとしても、それ自体は一向に構いませんし、仮に逆順答案で減点されたとしても、事前にローカルルールが周知されていれば教師にクレームを入れたりしません。もしも成績下位の児童にとって“順序固定”方式が受け入れられやすいのであれば、その方式を貫いて構わないでしょう。この意見に対しては「数学的な根拠がない教え方は混乱を招くのでは?」という反論も考えられますが、私はそれは杞憂だと思います。ある程度出来る児童生徒であれば、簡単な教科書の例題程度は、どんな教え方をしても結局はできるようになります。更に言えば、日本の科学界を将来背負えるほどに優れた才能を持つ児童生徒は、下手くそな教え方でも結局は伸びていきます(これは経験則から確信しています)ので、学校教育現場で非科学的な教え方がまかり通っていたとしても、さほど憂慮する必要はないでしょう。小学校の義務教育としての性質上、できない層にある程度合わせるのは仕方ないというか、当然のことです。

ですから、現在の教科書や指導書のあり方も基本的にはこのままで構わないと思っていますが、一つだけ教科書会社に注文をつけるとすれば、指導書の記述において、“正しい順序”に従わない答えを一概にダメとする表記は修正した方が良いような気がします。きちんと意味を理解した上で“逆順”を書く生徒も存在し得るからです。「逆順の答を書く児童については、ちゃんと理解しているか注意しよう」という文面なら納得できます。学校の教師にも(僭越ながら)1つ注文をつけるとすれば、「指導書に書いてあるから」ではなく(そもそも教え方を指導書に従わなければならない規則など無いはすですし)、教育的により望ましい手段を追求して欲しいと思います。それで結果的に“正しい順序”方式に行き着くならばそれはそれで結構だと思います。
(※私自身に低学年指導経験が無いのでこの辺を体感できないのが残念ではありますが…)

私自身の意見の本筋はここまで。さて、この問題に関するネット上での議論を概観しての所感をこれから述べます。随分盛り上がるテーマだな、というのが第一印象です。教育関係者や数学関係者や保護者や学生など、様々な立場からの発言がし易く内容的に分かりやすい話題だからでしょうか。ただ、“順序固定”の擁護派と反対派のいずれにも、雑だなと思える意見が散見されるので、以下でそれらを批判しておきます。

まず、“順序固定”に数学的 or 実用的意義があるという理由で、これを擁護する意見をたまに見かけます。「将来的に可換ではない積(行列など)を学ぶことになる」とか「式の意味を考えることは大事」的な意見です。前者はあまりにも算数とかけ離れた話であり無意味。後者については、式の意味づけをするにしても、それが必ずしも「1つ分の数×いくつ分」の順である必然性はありません(世間でも、そうなっていない掛け算記述は結構見受けられます)。この辺については、既にネット上で数多の優秀な方々が既に“論破”しているので、私などがこれ以上付け加える必要はなさそうです。

結局、“順序固定”の教え方や“逆順答案”の減点が数学的にナンセンスであることは明白なので、存在意義があるとすれば、「学力下位層を含めた集団授業を成立させるための手段」や「集団をコントロールするための方便」という点に尽きます。であるならば、批判派がこれらを“論破”するためには、「他に有用かつ実現可能な手段や方便が存在すること」や、「“順序固定”が決定的に“有害”である」ことを立証するしかないのですが、これらを示すことに成功している批判派の意見を私は見たことがありません。前者については、実際に初等教育に従事していないと難しいでしょうが、後者についても「非科学的だから有害に違いない」というエビデンス無き思い込みの域を出ていないように感じられます。この点は重要なのでもう少し詳しく書きます。“順序固定”批判派の人々は、水準以上の科学的知識や素養をお持ちの方が多いので、彼らの意見は一見説得力を持ちます。「教育現場に非科学的な要素を持ち込むな、子どもたちの算数への意欲を削いでしまうし、多面的かつ論理的に考える力が育たない」という主張に納得する人は少なくないでしょう。しかし、上で既に述べた通り、初等教育の集団授業の現場は、科学的ならばうまくいくような甘い場所ではありません。「多面的かつ論理的に考える」こと自体が相当高いハードルであるような学力の児童生徒がある程度の割合で必ず存在するからです。「算数への意欲を削ぐ」という点はどうでしょうか? ネットでは、「教師に1つのやり方を強制されてやる気をなくした」という類の体験談を時々見かけます。それらはTwitter上で多数RTされる等、“順序固定”批判派の論拠に用いられているようです。そのような教師は、確かに指導力に難があったかも知れません。しかし、私はやる気をなくしたと言う人に敢えて問いたい。「それでも貴方は最終的にはできるようになったのでは?」 これも繰り返しになりますが、できる人はどんな教え方をしても結局はできるようになるものです。※この点については、下記リンク(F)が示唆に富んでいます。

とは言え、小学校の教師の中には、“順序固定”せずに指導している方もいらっしゃるようなので、順序固定に頼らない指導法は存在すると思われます。ただし、その実行が容易であるか否かは、門外漢の私には分かりません。ここで残念に思うのは、掛け算順序問題に関して、小学校教師自身による論考がネット上に極めて少ないこと。順序固定せずに教えている先生には、それがどのような方法か等を教えていただきたい。一方、“逆順答案”をバツにする先生には、なぜバツでなければならないのか、教室を統率する上でバツにするメリットは何か、等を是非尋ねてみたいと時々思います。

最後の最後に蛇足ですが、私がこのエントリを大幅に加筆改訂したいと思ったきっかけは次の記事および記事に対するはてなブックマーク等での反響を読んだことです。
【朗報】3.9+5.1=?という問題で、答え9.0が減点だった案件にフィールズ賞受賞者が結論を出す(しきそく)
科学者と小学校教師に求められる能力は全く別で、いずれも別種のプロフェッショナルです。別分野の権威を利用しての教師批判という図式が地上波のTV番組にまで登場したことに私は不快感を覚えました。もしこれをきっかけに、学校教師を蔑視する考え方が下手に広まってしまったら、“順序固定”での掛け算以上に教育的に有害ではないか、と少々危惧した次第です。まあ、これも杞憂かも知れませんが……。

以下、当エントリを記す際に参考にしたpageです。

(A)教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。
上でもリンクしました。本文もさることながらコメント欄の議論に教員が多数参加していて、興味深い。

(B)小学校の算数教育における掛け算順序問題(Shinyaの日記)
全体的には順序固定に批判的な論調ですが、順序固定派の思考をかなり突っ込んで推測しています。一部引用します。
算数の教科書が順序固定で記述されており、現場教員向けのマニュアルにも特定の順序で表される式のみが正しいと書かれている場合があるため、その指導方針に盲目的に従う教師が発生している

そういうことがあるかも知れないと思いつつ、私は別の可能性もあると思っています。それは、順序固定の教え方がクラス全員をとにかく“できるようにさせる”のに有用だという「成功体験」が存在し、伝承されている可能性です。この辺りはぜひ当事者の意見を読みたいところですが、返す返すもその種の文章がネット上に乏しいのが残念です。

(C)かけ算の順番問題はなぜ今、目立つのか(片岡麻実氏のブログ)
発達障害児に教えるケースへの言及があります。これもコメント欄が盛り上がっています。

“逆順”答案をバツにする教師本人のまとまった主張はWEB上ではなかなか見当たりません。とは言え、順序固定派の方によるまとまった論考が見つかりました。
(D)かけ算の順序論争について(日本語版)(わさっき)
順序を固定して教える方が子供たちは理解し易いとの主張も含まれます。
【2017-1-2追記】コメント欄でt.m様からPowerPointスライドをご紹介いただきましたので、こちらでもリンクいたします。
配る問題,かけ算の順序

現在の算数教育界で順序固定派が力を持っているのは、集団授業を成立させるための方便としての有用性がある程度認められているからかも知れません。その有用性の一端についてよく考察されていると思われるまとめpageをリンクしておきます。
(E)「掛け算の順序が有用である」と思うわけ
この問題全般に関するまとめ主の見解は、私の意見と非常に近いようです。

また、小学校というのは、科学教育(の基礎)の場というだけでなく、管理や統率の場という面もあります。指導した順序に掛けなさいという指導は、そのような統率の役割を果たしているのかも知れません(個人的には、他の手段で指導できるのが理想だと思いますが)。そのような側面も踏まえた渡邊芳之氏のツイートを中心とするまとめを最後に挙げておきます。
(F)掛け算の順序と初等教育2012/11/9

コメントの投稿

非公開コメント

リンク感謝

(D)のリンクありがとうございます。その後も、情報の収集と整理を行っておりまして、今年はPowerPointスライドを作成しました。以下より、ご笑覧ください。
http://www.slideshare.net/takehikom/2x3-3x2/
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール

D Slender

Author:D Slender
2012年11月から、ここが私の通常ブログ。それ以前の記事および横断歩道関連の記事は横断歩道歩行者優先順守促進ブログをどうぞ。

最近の記事
月別アーカイブ
私のTwitter
リンク
カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる