掛け算順序議論への所感

※【2016-12-29追記】同じタイトルの記事の改訂版を書きました。根本の主旨は変わりませんが、やや力点が異なり、どちらかというと順序固定派擁護寄りのニュアンスに変えてあります。参考資料として、この旧エントリもそのまま残します。

タイトルを見てピンとくる人はこの段落を読み飛ばしてもらって構いません。まずは当エントリのテーマである「かけ算の順序問題」とは何か、概略を述べます(Wikipediaにも載っていますが)。例えば小学2年生の算数で「6つのベンチに子供が3人ずつ座っています。子供は全部で何人いますか」という問題に式と答えを書かせるとしたら、3×6=18と6×3=18のいずれも正解のはずです。ところが6×3=18を不正解として減点する小学校教師が存在するらしく、定期的にWEB上で議論が巻き起こっています。以上がいわゆる「掛け算の順序問題」です。とは言え、演算としての交換法則そのものではなく文章題の立式の際の順序の話なので、個人的には「文章題掛け算順序問題」と呼ぶ方が正確だと思っています。

ここから本題です。最初に私自身のbackgroundを若干述べます。私は小学校高学年~高校の算数・数学については集団での授業経験がある人間です。しかし今回のテーマに最も関連深い小学校低学年への指導経験はありません。その意味では門外漢です。ひょっとしたらこれから書くことに認識の誤りが存在するかも知れませんし、既にネット上の別所で書かれている主張の2番煎じになるかも知れません。ご了承ください。
先にリンクしたWikipediaにもあるように、文部科学省の指導要領には、文章題掛け算に“正しい順序”があるとか、ましてや逆順は減点すべし、に類することは一切書かれていません。ところが、教科書の記述では一方の式のみが正答扱いされています。更に、教科書の指導書の中には逆順を誤りとするような記述があるそうです。なお、私は指導書を入手できる立場にはありませんので、これについてはWikipediaや、東京書籍の指導書を引用した次の記事を参照しました。
教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。(小学校教諭の方のブログ記事)

以上に記した現状をふまえ、以下でこの問題について言いたいことをまとめます。

何より一番言いたいことをこの段落で書きます。それは、“正しい順序”の逆順の答案を減点するのは基本的に容認できないということ。つまり、冒頭の例題ならば3×6=18と6×3=18のいずれも○にすべきであるということ。何故そう考えるか?
理由その1まず、当然のことですが3×6だろうが6×3だろうが数学的には全く同じ。更に、小学生に式を書かせる形式のテスト問題は、大抵の場合、日本語を含まない式だけが要求されます。ゆえに、どのように思考してその式を書いたのか正確に評価することは困難。

【この段落は2015-11-19追記】上の理由その1の件に関して、「テストでは式だけではなく日本語で思考過程を書かせるべき」という意見がネットで散見されますが、小学校低学年のクラス全体への要求としてはハードルが高すぎると思われます。あとでも書きますが、義務教育としての性質上、できない層にある程度合わせるのは仕方ありません。

理由その2数学的に正しいものを×にすることによって児童生徒の数学に対する意欲が削がれ、ひいては学校の教師への不信感を生むリスクも想定される。この主張への反論としては「出てきた数字の意味を考えずに並べて立式する児童を指導するために逆順答案は減点すべきだ」というものが考えられるでしょうが、そのような理解不十分の児童生徒に対しては、減点ではなく別の手段で指導するのが理想と考えます。

ただ、指導の都合上、どうしても逆順をバツにしたいなら、当該児童の意欲が決して損なわれないように責任を持って指導して欲しいものです。たとえば、「順番違いでバツになるのは教室内でのローカルルールである」ことを明言するなら、上記の理由その2の懸念は解消されるでしょう。

ところで、演算としての掛け算の交換法則の成立については、小2の指導要領にも教科書にも明記されていて、これを否定する人はおそらく皆無でしょう。問題になっているのは数が具体的な量を表す場合の可換性です。現在の教科書では「1つ分の数×いくつ分=全部の数」と教えることになっていて、これがいわゆる“正しい順序”です。尤も、一旦きちんと理解できた後で“正しい順序”に拘るのは全く無意味です。例えば冒頭の例題の式に単位をつけると(ベンチを数える単位を「脚」として)、3(人/脚)×6脚=18人でも6脚×3(人/脚)=18人でも全く同じことは明らかです。小学生の集団相手に単位をつけて指導するのは難しいような気はしますが。

つまり、“正しい順序”は未成熟な小学生に掛け算を教えるための手段の一例ということになります。少し話が逸れて低学年算数から離れますが、経験上、成績中下位層の生徒に数学を教える際、色々な別解を伝えようとすると却って混乱する場合があります。できる生徒は別解を喜びますが。一般に、力量差が大きい集団に勉強を教えるのはかなりの工夫と労力が必要で、簡単ではありません。

これから私が2番目に言いたいことを述べます。小学校の教師は、生徒がより理解しやすい教え方を採用すべきです。その手段が“正しい順序”方式であろうが、順序にこだわらない方式であろうが構いません。もし仮に私に小学生の子供が居たとして、「掛け算の式は『1つ分の数×いくつ分=全部の数』の順番で書こう」と指導されていたとしても、それ自体は一向に構いませんし、逆順答案の減点をしない限りはクレームを入れたりもしません。もしも成績下位の児童にとって“正しい順序”方式が受け入れられやすいのであれば、その方式を貫いて構わないでしょう。この意見に対しては「数学的な根拠がない教え方は混乱を招くのでは?」という反論も考えられますが、私はそれは杞憂だと思います。ある程度出来る児童生徒であれば、簡単な教科書の例題程度は、どんな教え方をしても結局はできるようになります。小学校の義務教育としての性質上、できない層にある程度合わせるのは仕方ないというか、当然のことです。

ですから、現在の教科書や指導書のあり方も基本的にはこのままで良いような気がしますが、一つだけ教科書会社に注文をつけるとすれば、指導書の記述において、“正しい順序”に従わない答えを一概にダメとする表記は修正した方が良いかと。きちんと意味を理解した上で“逆順”を書く生徒も存在し得るからです。「逆順の答を書く児童については、ちゃんと理解しているか注意しよう」という文面なら納得できます。学校の教師にも1つ注文をつけるとすれば、「指導書に書いてあるから」ではなく(そもそも教え方を指導書に従わなければならない規則など無いはすですし)、教育的により望ましい手段を追求して欲しいと思います。それで結果的に“正しい順序”方式に行き着くならばそれはそれで結構だと思います。
(※私自身に低学年指導経験が無いのでこの辺を体感できないのが残念ではありますが…)

最後に、この問題に関するネット上での議論を概観しての所感をいくつか述べておきます。随分盛り上がるテーマだな、というのが第一印象です。教育関係者や数学関係者や保護者や学生など、様々な立場からの発言がし易く内容的に分かりやすい話題だからでしょうか。ただ、このテーマについては「順序を固定する教え方の是非」と「“逆順”の答案を減点することの是非」は分けて議論すべきだと思っています。既に述べたとおり、私は前者は一応是、後半は非という立場です。ところが、両者を混同して批判するかのような論者もネット上で時折見かけます。数学プロパー的な人にその傾向があるようです。私に言わせれば、これは数学理論の問題ではなく初等教育の問題です。より多くの児童生徒が意欲を失わずに理解に至るにはどうするのが良いのか、という観点からの議論が望ましいと思います。

以下、当エントリを記す際に参考にしたpageと若干の追記です。

(A)教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。
上でもリンクしました。本文もさることながらコメント欄の議論に教員が多数参加していて、興味深い。

(B)掛け算の順序問題について(kikulog)
物理学者の菊池誠氏のpage。論点が簡潔かつ分かりやすく書かれていると思います。

(C)かけ算の順番問題はなぜ今、目立つのか(片岡麻実氏のブログ)
最近の記事。発達障害児に教えるケースへの言及があります。これもコメント欄が盛り上がっています。

ところで、“逆順”答案をバツにする教師本人のまとまった主張をWEB上で探しているのですが、なかなか見当たりません。【ここから2013.11.20追記】とは言え、順序固定派の方によるまとまった論考が見つかりました。
(D)かけ算の順序論争について(日本語版)(わさっき)
順序を固定して教える方が子供たちは理解し易いとの主張も含まれます。

【ここからは2015-11-19追記】 学力差が大きい小学校低学年の集団に算数を教えるのは簡単ではありません。現在の算数教育界で順序固定派が力を持っているのは、集団授業を成立させるための方便としての有用性がある程度認められているからではないかと思われます。その有用性についてよく考察されているまとめpageをリンクしておきます。
(E)「掛け算の順序が有用である」と思うわけ
この問題に関するまとめ主の見解は、私の見解と非常に近いようです。

また、小学校というのは、科学教育(の基礎)の場というだけでなく、管理や統率の場という面もあります。指導した順序に掛けなさいという指導は、そのような統率の役割を果たしているのかも知れません(個人的には、他の手段で指導して欲しいとは思いますが)。そのような側面も踏まえた渡邊芳之氏のツイートを中心とするまとめを最後に挙げておきます。
(F)掛け算の順序と初等教育2012/11/9

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No title

はじめまして。

>“逆順”答案をバツにする教師本人のまとまった主張

たしかにあまり見ないですね。

すでに読んでいらっしゃるかもしれませんが、小学校教師の新聞投稿があります。
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_2.html

「かけ算の順序」業界では有名な
【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか
http://appnote.info/2010/11/15/35or53/

「教育の仕事に関わった」という方。元教師ということなのかどうかは不明
http://aozorabito.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/01/post_9260.html

私が今知っているのは、この程度です。

失礼しました。

ありがとうございます

積分定数さん、はじめまして。ブログ主です。
興味深いpageのご紹介、ありがとうございます。
後ほどじっくり読んでみます。

リンクありがとうございます

(D)のリンクありがとうございます。
私も小学校教師ではありませんので、書籍やWebの情報、また教師経験者から聞いたことをもとに、かけ算の指導の実情を整理しているところです。

「3(人/脚)×6脚=18人」と「6脚×3(人/脚)=18人」を対比させていますが、小学校の授業でそれらが同じだという式の比較は、見当たりません。
「3(人/脚)×6脚=18人」と「6(人/脚)×3脚=18人」の比較(式よりは、絵による場面の対比)を通じて、3×6と6×3は、答えは同じでも意味が違うと学習します。
そのように学習したことを踏まえて、テストで問われます。

式を使わないなら、「3人ずつで6脚に座る」と「6脚に3人ずつ座る」の比較と、「3人ずつで6脚に座る」と「6人ずつで3脚に座る」の比較です。
そしてこれまで、○にせよという人々は前者を、×なのだという人々は後者を論拠としていました。
それらをA-5とB-5として併記したのが、自分なりにつくった文書の特色の一つだと思っています。

○にする×にする、それがその後どうなる、などについては、教育評価に関する体系的な知識を持っておくことをおすすめします。
(D)で載せた中では[田中2008]が入門書になります。
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